

僕の名前はワシン。タイ・バンコク生まれのタイ人だ。
現在、日本文化を学ぶために、日本に留学中。
趣味は旅をすること。もっぱらバックパッカーだけれど。
きょうは旅の途中、和歌山県の白浜町という町で偶然出合った体験をシェアしたい。僕にとって、忘れられない思い出だ。
2019年(令和元年)6月1日。
初めて白浜に降り立ったその日、僕は献湯祭と呼ばれる温泉のパレードに遭遇した。
色とりどりの華やかな衣装をまとった女性たち、巫女、宮司。
すべてが美しく、僕は夢中で写真を撮り続けた。

白浜温泉は1360年以上前から存在していた歴史ある温泉だ。
その名は『日本書紀』や『万葉集』にも登場し、道後温泉、有馬温泉とならび日本三古湯のひとつに数えられている。
この白浜温泉を有名にした恩人が有間皇子。
白浜町の人々が忘れてはならない人だそう。
657年(斉明3年)に牟婁温湯(むろのゆ)を訪れた。大変お気に召して、斉明天皇に薦めたのがきっかけでその後、持統、文武など歴代の天皇が訪れるように。
しかし、その地が有間皇子にとって悲劇の舞台になってしまうとは!
謀反の企てを疑われ、絞首刑にされてしまったのだ。さぞかし無念だったろう。
献湯祭では最初に有間皇子に玉串奉奠(たまぐしほうてん)がなされた。
まるで感謝と鎮魂の祈りのようだった。

礦湯(まぶゆ)を通り、湯崎広(ゆざき)場へ向かうパレードの途中、僕は巫女さんに尋ねた。
「おそれいります、その鳥は鶴ですか?」
すると巫女さんはこう言った。
「え~?何だろう。鶴?シラサギ?」
『巫女さんが着物に印された文様のルーツを知らないとは!』と、僕は驚いた。
そして、さらに驚くべきことが起きた。
パレードに参列していた七福神が僕と巫女さんを取り囲み、怒り始めたのだ。
「地元人ほど、大事なことをよう知らん!」

実はこの7人は七福神ならぬ、湯崎七湯(ゆざきななゆ)の精霊だった。
崎の湯(さきのゆ)、元の湯(もとのゆ)、屋形湯(やかたゆ)、疝気湯(せんきゆ)、礦湯(まぶゆ)、浜の湯(はまのゆ)、阿波湯(あわゆ)。
湯崎オールスターの登場だ。
「さあ、早く乗った乗った!君はバックパッカーなんだろ?乗せてってやるよ」
と崎の湯の精霊がいたずらっぽく笑い、七湯の精霊たちは僕らふたりを宝船柄の籠に乗せ、担ぎだした。
「出発進行!」
掛け声とともに、御簾が下ろされた後のことは全く覚えていない。
これがタイムトラベルの始まりだったなんて気付きもしなかった。
小さな阿波湯の精霊が「泡までおいしいのよ」と地ビールを薦めてくれた。
僕らは乾杯した。
巫女さんは白浜生まれの白浜育ちで、湯川泰波(ゆかわやすは)という名前だった。
『おだやかな波のようにやさしく育って欲しい』という思いと『白良浜の波がいつもおだやかであるように』という願いを込めて、彼女の祖父がつけてくれたそうだ。僕らはすっかりうちとけ、いい気分で酔った挙げ句、いつの間にか眠りに落ちていた。

目が覚めると、そこは立派なお屋敷だった。
気持ちよさそうに湯浴みをしている殿方がひとり。
「あちらに見ゆるは、湯治(とうじ)静養中の紀州徳川家初代、頼宣さまよ。家康の十男にして、八代将軍吉宗がもっとも尊敬した祖父といわれている」
と屋形湯の精霊が満面の笑みで言った。
「え?徳川将軍だって?」
僕らは耳を疑った。
「頼宣さまは湯崎の湯がたいそうお気に召して、この別邸へ運んで、汲み湯にしていたほど」

泰波が反対側の御簾から外の様子を見ている。
「あら。自炊をしている人がいる。どうやら船で寝泊まりしているみたいね」
「江戸中期からはようやく湯治宿も増え、貴族や藩主だけでなく庶民も湯治を楽しめるようになったのさ。あれをごらん」
浜の湯の精霊はそう言って、海岸に並んでいる湯治船を指さした。
「大阪や四国から揚げ船でやってきた人々が船で寝泊まりしながらひとっぷろ浴びていく。それが当時の風物だったものよぉ」
「入浴料はいくらだったの?」
「慶長5年(1600年)頃は宿が入湯料12銭を徴収して、その頃はまだ4つだった『崎の湯』『礦湯』『元の湯』『屋形湯』に自由に入れたんだよ。ちなみに、12銭は現在のお金に換算すると600円ぐらいといわれているよ」
「どんなものを食べていたの?」
「シマアジとかタイとか。それは華やかな海の幸尽くしさ」
浜の湯の精霊は得意気だ。

「もうひとつ忘れちゃならない歴史がある」
そう語り始めたのが礦湯の精霊。聞けば、戦国時代に鉛山(かなやま)が発見され全国から採鉱者が訪れた。彼らは重労働の後、湯治をしていたらしい。
「おいらが七色の湯といわれるゆえんは鉛と塩分と太陽と水の化学反応によるものさ。赤、黒、緑、白濁、透明と七変化は朝飯前さ」
その効能は抜群だったとか。
疝気湯の精霊が続けた。
「『入浴も度が過ぎると養生の妨げになるどころか、病にもなる』っていわれたものさ。7日間を一巡りとした入浴の具体例もあったくらいでね。初日はただ一度だけ、翌日は二度、3日目は三度、4日目は昼二度、夜二度の4回。5日目からは回数を1回ずつ減らし、昼二度、夜一度、6日目は昼一度、夜一度、最後の7日目は初日同様1回のみ、って具合にね」
ちなみに疝気湯は「さしこみ《腹痛》」に絶大な効果があったらしい。

屋形湯の精霊はこんな解説をしてくれた。
「最初に旅館ができたのが元禄15年(1702年)頃。有田屋、栖原(すはら)屋、菊屋、柳屋。小さい集落だったから互助の精神で宿泊客をシェアしながら助け合って切り盛りしていたよ」
屋形湯の精霊の解説が始まると、何と、今度はごちそうだった。
しかも、七輪の上でこんがり焼いた新鮮な魚だ。おいしそうな匂いがした。
「昭和の頃、羽振りのいいお客さんはこんな風にごちそうに舌鼓を打ちながら屋形船で遊覧していたこともあったんだよ」

「ところで。そもそも、献湯祭が毎年6月1日に行われている理由を、巫女のお前さんは知っているのかい?」
元の湯の精霊が尋ねた。泰波は首を横に振った。
「いいかい。この白浜が全国屈指の観光地になったのは、昭和4年(1929年)6月1日の昭和天皇の行幸を迎えたことが大きいんじゃよ。祇園南海(ぎおんなんかい)先生が『鉛山紀行』でどんなに景色をたたえてくれても、やっぱり絶景だけでは人は来てくれない。それまで小さな湯治場で半農半漁を営みながら暮らす村だったこの地を何とか再び有名にしたいと『紀伊続風土記(きいしょくふどき)』を記して、ワシら湯崎七湯を発見してくれた仁井田好古(にいだよしふる)先生が第一の恩人だとすれば、昭和天皇はこの白浜の道なきところに道を開き、トンネルを開通させるきっかけをつくった恩人といわねばならぬ。今年はその年からちょうど90年。令和という新しい時代を迎えた今、ワシらは足元を見直すタイミングなのかもしれぬな」

湯崎七湯の精霊たちの問わず語りが終わる頃、僕らは山神社(さんじんじゃ)に到着していた。
「泰波!どこ行ってたの!始まるよっ!」
他の巫女さんたちの叫び声で、僕らは現実世界に引き戻された。
まさに一番湯奉納の儀式が始まろうとしていた。
各源泉から角樽(つのだる)で運んできた一番湯を小さな樽に入れ替える。
泰波は自分の持ち場に帰った。
巫女から巫女へ小さな樽が手渡され、神職による一番湯奉納の儀式を
見届けた僕は、ここに居合わせられたことを心からハッピーだと感じた。
お礼を伝えたくて振り返ると、湯崎七湯の精霊たちの姿はすでに消えていた。

僕はその日の不思議な体験を引き寄せてくれた泰波にお礼がしたいと思った。
そこで阿波湯の精霊が教えてくれた、地ビールのブルワリーで待ち合わせをした。
巫女姿からジーンズ、Tシャツに着替えた泰波もクール!
「カンパーイ!」
泰波は古書を手にしていた。
観光局の友達から借りたという『紀伊続風土記』だった。
「仁井田好古さんのガイドブックだね」
「そう。ガイドブック」
そして泰波に誘われた。
「ねえ、明日ひま?」

泰波の誘いは湯崎の温泉碑巡りだった。
もちろん、湯崎温泉碑からスタートだ。
たまには車から降りて歩くのも、悪くない。
僕は、もう少しこの白浜の町に滞在しようと決めた。
石碑に向き合っていたら
<石に刻まれた眼は永遠に開く>
という詩の一節を思い出した。僕が好きな『眼』という詩だ。
石に刻まれた『仁井田好古』の名前から
『湯崎温泉の価値を知らしめたい』という強い思いが伝わってくるようだった。
石碑はここから、白浜の町を見守っている。
いつまでも。永遠に。

主な観光施設・観光名所
1. 番所山公園
円月島や塔島などが眺望できるすばらしい景観と豊かな自然環境が残されており、吉野熊野国立公園に指定されています。
2. 円月島
島の中央に円月形の穴がぽっかり開いていることから「円月島」 と呼ばれ、南紀白浜のシンボルとして親しまれています。
3. 熊野三所神社
熊野三所権現を観請して社殿を整えたとされる神社。境内にある火雨塚古墳という石室を持つ立派な古墳や、鬱蒼とした神社を取り囲む社叢は、県指定文化財に指定されています。
4. 白良浜
「白浜」の名の由来になった、約620mに渡り弓状に広がる白砂のビーチです。
5. 白浜エネルギーランド
「人とエネルギー」をテーマに、楽しく遊び、そして学べる体験型のテーマパーク。老若男女問わず楽しめます。
6. 有間皇子の碑
白浜温泉の名を広めた恩人として白良浜海水浴場近くに建てられています。毎年6月に献湯祭の神事が行われます。
7. 湯崎温泉碑
歴代の天皇の行幸に関する内容、また、湯崎温泉の効能や周辺の景観の素晴らしさを称えた文章が記された石碑です。
8. フィッシャーマンズ・ワーフ白浜
地元の漁師が運営する施設で、1階は鮮魚市場やダイビングショップ、2階は飲食施設です。併設した桟橋から直接水揚げされた新鮮な食材をお楽しみください。
9. 崎の湯
万葉の昔からあり、「湯崎七湯」の中で唯一残っている歴史ある温泉。雄大な太平洋が間近にせまる露天風呂です。
10. 千畳敷
太平洋の青い海を背景に広がる大きな白い岩盤。水平線に沈む夕日は、まさに絶景です。
11. 三段壁
南北約2km半径に展開される大岩壁。高さ約50mの断崖は迫力満点です。
12. 山神社(温泉神社)
鉛山鉱山の守護神として崇敬されている神社。毎年6月に行われる温泉の恵みに感謝する献湯祭など伝統的なお祭りが行われます。
13. 平草原公園
白浜の街並みを一望できる高台にある公園。2,000本の桜(ソメイヨシノ)をはじめ、季節ごとに四季折々の花が鑑賞できます。
14. とれとれ市場
西日本最大級の海鮮マーケット。全国の海産物や和歌山の特産品を豊富に販売しています。
14. アドベンチャーワールド
「人間(ひと)と動物と自然とのふれあい」をテーマに、全世代が楽しめる動物ふれあいテーマパーク。パンダファミリーが有名です。
アクセス
阪和・紀勢自動車道 南紀白浜ICから約10分
大阪から車・電車で約2時間
東京 羽田からJALで75分

題名 ユザキノキセキ - 令和の南紀白浜紀行
監修・制作 一般社団法人 南紀白浜観光局
取材・文 砂塚美穂
絵 ワシン(マンガデザイナーズラボ株式会社)
編集・ブックデザイン マンガデザイナーズラボ株式会社
令和元年(2019年)12月23日 初版第一冊発行
発行者・発行所/ 一般社団法人 南紀白浜観光局
印刷所/ 凸版印刷株式会社
絵本制作にあたり協力してくださった方々(敬称略)
歴史服飾監修 武田佐知子(歴史学者 大阪大学名誉教授)
取材協力 川口八郎
三栖敏一 (フィッシャーマンズ・ワーフ白浜 代表)
菊原章 (南紀白浜温泉きくや旅館 社長)
愛須康徳 (白浜町職員)
佐藤純一 (白浜町学芸員)
参考文献 / 『西脇順三郎詩集』 那珂太郎編(岩波文庫)
『温泉と日本人』 八岩まどか著(青弓社)
砂塚美穂 (すなづか みほ)
編集ライター。主に女性誌を中心に新聞・雑誌・web・広告媒体にて企画、取材、執筆と幅広く担当。編集協力した主な書籍は『みんなのレオ・レオーニ展』図録(朝日新聞社)、『金沢ブランド100』(北國新聞社)、『ナチュラル美容手帖』(講談社)など多数。
Wasin Kalfanapadol (ワシン・カルファナパドル)
マンガデザイナーズラボ株式会社所属デザイナー。タイ出身。

