奈良といえば、圧倒的な存在感を放つ「奈良の大仏」を思い浮かべる人も多いでしょう。この記事では、奈良の大仏について詳しく知りたい人向けに、奈良の大仏の大きさや造られた理由、成り立ちや歴史など、奈良の大仏を祀る「東大寺大仏殿」の特徴や周辺情報まで解説します。情報収集にお役立てください。
奈良の大仏とは

奈良の大仏は、国宝であり東大寺大仏殿の本尊です。聖武天皇の発願で745年に造営が始まり、752年に完成しました。多くの人からは「奈良の大仏さん」と親しみを込めて呼ばれていますが、正式名称は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」です。
盧舎那(ルシャナ)は、サンスクリット語のヴァイローチャナの音訳で「光明遍照」と漢訳されます。「阿弥陀仏の救いの光が広くあらゆる世界を照らし、人々を救うこと」を意味します。
奈良の大仏が造られた理由

奈良の大仏が造られた背景には、聖武天皇の悲しみと苦悩があります。奈良時代(天平時代)は正倉院宝物に代表されるように華やかな時代でしたが、政治的な争いや干ばつ、飢饉、天然痘の流行など多くの民衆が疲弊している時代でした。
そこで、聖武天皇は「仏教の力で国の災いをしずめ、全ての人が心安らかに暮らせるようにしたい」という一心で、大仏造立に賛同する国民を集めて、平和のために奈良の大仏を作ることを呼びかけました。
奈良の大仏の大きさはどのくらい?
奈良の大仏は、サイズが大きく圧倒的な存在感があることで有名です。ここでは、奈良の大仏の大きさや各部位のサイズなどについて解説します。
奈良の大仏の大きさ
奈良の大仏の像高は14.98mで、ビルの5階相当の高さがあります。各部位のサイズについては下記の表にて確認しましょう。


奈良の大仏の手の大きさ
奈良の大仏は、右手を前に向けて、左手の手のひらを上に向けています。下記は、東大寺公式サイトの計測による奈良の大仏の手のひら(左手)の実測値です。
奈良と鎌倉の大仏の大きさを比較

奈良と鎌倉の大仏はどちらも存在感がありますが、大きさはわずかに異なります。鎌倉大仏殿髙徳院の公式サイトによると、鎌倉の大仏(国宝銅造阿弥陀如来坐像)の像高は約11.3mとされています。像高が14.98mの奈良の大仏と比較すると、3.68m程度低いのが分かります。
奈良の大仏の歴史
現在の奈良の大仏があるのは、数々の戦火や災害を乗り越えてきたためです。ここでは、奈良の大仏の創設から現在までの歴史について解説します。
奈良時代に創設

前述した通り、奈良時代(天平時代)は政治的な争いや干ばつ、天然痘の流行などの災難の連続で、多くの民衆が苦しんでいました。そこで、743年に聖武天皇は仏教の教えにより国を治めるために「大仏造立の詔」を発し、奈良の大仏を創設することになりました。
その後、752年に大仏像の完成を記念して行われた法要である「開眼供養会(かいげんくようえ)」が開かれました。
平家の焼き討ちと再建

855年に大地震により奈良の大仏の頭部が落下します。1180年に平家に歯向かう奈良の寺院勢力と平家軍による戦いの中で、平重衡が南都(奈良)を焼き討ちします。戦火が広がり、興福寺の建築物、東大寺大仏殿、奈良の大仏の大半が焼き尽くされました。
しかしその後、後白河法皇や武家の協力や支援や全国から寄付を集めて、奈良の大仏と東大寺大仏殿が再建されます。
東大寺大仏殿二度目の焼失と再建

戦国時代の1567年、将軍足利義輝を殺害した三好三人衆と松永久秀が主導権を巡って争いました。このとき戦火によって再び奈良の大仏が被災し、東大寺大仏殿も焼失します。その後、仮堂で復興しましたが、大風によって大破し、奈良の大仏の頭部が落ちます。
しばらくの間、奈良の大仏の頭部なしの雨ざらしの状態が続いて、1709年にようやく奈良の大仏は再建されます。
天平時代のまま残っている部分

これまでの度重なる自然災害や戦火を経て、現在の奈良の大仏が存在します。再建されるたびに補修が繰り返されてきたため、天平時代のまま残っている部分は、左大腿部褶襞の一部(衣服のしわ)と台座の蓮弁部のみです。
東大寺大仏殿は創設当時の3分の2程度のサイズになりましたが、奈良の大仏の顔のつくりは、多少大きくなっているほどです。
奈良の大仏を祀る「東大寺大仏殿」の特徴
奈良の大仏は、東大寺大仏殿の本尊としてこれまで大切に守られてきました。ここでは、奈良の大仏を祀る「東大寺大仏殿」の特徴について紹介します。
殿世界最大級の木造建築

東大寺大仏殿は、東大寺境内の中央に建っている殿世界最大級の木造建築です。東大寺公式サイトによると、東大寺大仏殿の現在の幅は57mです。創設時に86mあったものが3分の2程度となっていますが、奥行きや高さは創設時のままです。
毎年、大晦日から元旦には、正面にある唐破風下の観相窓が開かれます。大仏さまのお顔を参拝しながら新年を迎えられます。
※参考:華厳宗大本山 東大寺公式サイト
屋根の頂上部にある鴟尾(しび)

東大寺大仏殿の大棟の左右に金色に輝いているのは、鴟尾(しび)です。東大寺大仏殿の鴟尾は、火除け(=防火)のために設置されたと言われています。魚が水面から飛び上がり尾を水面上に出したと考えると、屋根が水面になります。この場合、建物は水面下にあるので燃えないという言い伝えを用いられたと考えられています。
柱の抜け

東大寺大仏殿内部にある柱の1本には、穴が開いています。この穴は、奈良の大仏の鼻孔と同じサイズだと言われていて、くぐることで「無病息災」のご利益があると言い伝えられています。人気スポットのためオフシーズンになると多くの人で賑わい、柱の抜け穴を通るために行列ができるほどです。朝早い時間に行くと、比較的人が少ないのでおすすめです。

奈良の大仏を祀る「東大寺大仏殿」の周辺情報
東大寺大仏殿に行く際には、周辺情報も合わせて把握しておくことをおすすめします。ここでは、東大寺大仏殿の周辺情報について紹介します。
南大門

東大寺南大門は、東大寺参道の中心に建っている門です。創建当時の門は、平安時代に大風で倒壊したため、現在の門は鎌倉時代に再度造られたものです。また、門内には口を開けた阿形(あぎょう)像と、口を閉じた吽形(うんぎょう)像の金剛力士像(仁王像)が安置されています。
金剛力士像は門の左右にあるため、実際に見ると迫力があります。
八角燈籠(はっかくとうろう)

八角燈籠(はっかくとうろう)は、東大寺大仏殿の前に施されている灯篭です。東大寺の創建当初に造られたもので国宝に指定されています。東大寺は度重なる争いによって焼失したものが多いですが、八角燈籠は現在も創建当時のまま残されている貴重な存在です。
火袋には、楽器を奏でる音声菩薩と呼ばれる天人が浮き彫りにされており、魅力的です。
まとめ

奈良の大仏は、過去の戦火や災いなどを乗り越え、現在も大切に残されています。なぜ造られたのかなどの成り立ちや歴史を知ると実際に訪れた際により楽しめるはずです。
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